12月の禅語御朱印直書き会

  1. HOME
  2. お知らせ
  3. 禅語
  4. 12月の禅語御朱印直書き会

12月の禅語御朱印直書き会

12月の禅語御朱印直書き会のご案内です。参加は予約不要です。

12月の開催は、

12月24日(日)11:00~13:00

12月27日(水)11:00~13:00

12月30日(土)11:00~13:00

*開催時間がいつもと違うので気をつけてください。

12月のテーマは、盛雪 明月蔵鷺(ぎんわんにゆきをもり めいげつにろをかくす)

に雪を盛り、明月に鷺を蔵す。

類すれども斉しからず、混ずるときんば処を知る。

銀のお椀と雪は全く異なる性質のものだが、お椀の白色に雪の白色を盛るとその境界が曖昧になる。同様に、明るい月と白鷺は違うものだが、月に白鷺が重なると、白い光のなかで区別がつかなくなる。しかし、似てはいても同じでない。混じり合って見分け難くても、ちゃんとわかる。

この禅語は、このような意味で解釈されています。

ところで、坐禅をしていると、私と世界は一つであるということに気づきます。

私たちは、あらゆるものに違いがあって、差別、区別、分別がある世の中を生きています。そもそも同じものなど何一つない世界で生活をしています。

しかし、坐禅をしていると、この違いだらけの世界は、実はそのままで完全に一つで平等だということを実感する時がおとずれます。

また同時に、この平等で一つである世界が、そのままあらゆる違いも内包する世界だということを理解するのです。

坐禅を実践していくと、差別と平等、主観と客観、相対と絶対、私と世界、一見まるで矛盾しそうなこれらの概念は、実は併存しているという現実を身をもって知り、腑に落ちることになるでしょう。

その結果、私という存在の現在地に納得し、そして、その先の行く道は完全に私の自由だと知ることになるのです。

うーん、禅語ってなんか複雑やなぁ、と思いながら、いつもの定食屋さんで、プラスチックの白いお椀に盛られたうまそうな白米を眺めつつ、思うのです。

解釈は無限。禅語は面白いです。

両足院徒弟

品部東晟

 

  • twitter
  • LINE
  • twitter
  • LINE