堂宇伽藍・茶室

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本堂は、室中に⼆重格天井を備え内陣に本尊「阿弥陀如来⽴像」を安置する。庭園は、⽩砂と苔に⻘松が美しい唐⾨前庭。枯⼭⽔庭園の⽅丈前庭。そして京都府指定名勝庭園の池泉廻遊式庭園からなる。

梅⾬の頃には、半夏⽣が、いきいきと⽣い茂る。初夏になると徐々に⾊を変え、まるで⽩い可憐な花が咲いた様に池辺を彩る。

池の北側には織⽥信⻑の弟織⽥有楽斎好みの如庵の写し「⽔⽉亭」、その右には六帖席の「臨池亭」が並ぶ。墓地は⼊り⼝に井⼾、供養塔を配し、390坪の敷地からなる。最も古いものは江⼾中期のものである。

方丈

方丈とは、禅宗寺院建築で本堂、客殿、住職居室を兼ねるもので内陣、室中、礼の間、檀那の間、書院、衣鉢の間の6室からなる。

現在当院での方丈は、本堂としての機能、つまり法要を厳修するだけでなく、坐禅会が開催される場所でもあり、多聞会(勉強会)や学術的発表または美術品の展示にも使われている。

大書院

大書院

大書院とは、もとは、寺院僧侶の私室、書斎である。

現在は、学術研究の一時的研究室としてや法要の控室、大寄せの茶席、展示会場としてなど多様な用途で大書院は使用されている。

ガラス戸越しの書院前庭は、京都府の名勝庭園に指定される。池泉回遊式庭園。水月亭、臨池亭の茶室2軒は、この庭園の北側にある。

茶室

水月亭

織田有楽斎好みの如庵(国宝)の写しとして大村家より明治43年に建てられた茶室である。2畳半台目。

光を外から取り入れる工夫がされた有楽囲いの室内には、広く見せる三角形の鱗板があり、腰張りには中国の暦が配される。

臨池亭

大村梅軒好みの茶室。6畳。高台寺にあった大村家の別荘の茶室を昭和元年に移築されたものである。

庭園

唐門前庭

通常非公開。高麗門(大門)をくぐって唐門までの方丈への参道であり、分岐の小径は、墓参道でもある。

高麗門(大門)が開扉するのは、開山忌や大施餓鬼法要または、文化的催しなど年内で回数限られているのであまり鑑賞されることはない。

墓参者はこの参道を通って奥の墓地に辿り着く。

閼伽井庭

方丈と庫裡の中庭。閼伽(仏膳に供える水)を汲む井戸とその水を受ける水鉢がこの庭の象徴。三尊席が中心にあり、その手前に礼拝石と前述の水鉢と燈籠を配する。

墓参道

唐門前庭から分岐して草の様式の延べ段が方丈前を横切るように続く。奥には階段があり扉の奥に約300坪の墓地が広がる。

南東には銀杏と欅の巨木があり、その周辺に緑雲苑という名の樹木葬地になっている。

毘沙門天堂

鞍馬の胎内仏

両⾜院の毘沙⾨天は、鞍⾺寺毘沙⾨天の胎内仏でした。

戦国時代 ⽐叡⼭が織⽥信⻑によって焼き討ちにあった際、鞍⾺の僧が尊像の安全を危惧し、⽐喜多養清(室町将軍の茶家、筑前⿊⽥家京都御⽤達)のところへ、尊像を疎開させたものです。

戦前は祇園の芸妓、舞妓がお参りして願いを成就させていました。そのころの願いは「いい旦那様がみつかるように」ということで「祇園の縁結び」としても知られています。今でもお参りの際には偶然、舞妓さんに出会うこともあります。

黒田家必勝の御守護

関が原の会戦に⿊⽥⻑政が関東⽅として出陣する際、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利を収めたといわれています。そのあと尊像は代々⿊⽥家で信仰されましたが、維新の変⾰で明治10年ごろ当院に寄進されました。

以後、勝利の神として商売繁盛、合格祈願、良縁成就、誓願成就

寅年の本尊

本尊の毘沙門さんは、脇仏に閻魔大王、不動明王をおまつりしています。

毘沙門天堂の狛犬は、寅。香炉や灯篭にも寅が、浮き彫りされていることから寅年生まれの方やご縁のある方がよくお参りされております。

開門中はいつでもお参りできます。

開門時間:7時頃~17時頃