11月の禅語御朱印直書き会
11月の禅語御朱印直書き会のご案内です。参加は予約不要です。
11月の開催は、
11月12日(日)11:00~13:00
11月23日(木)11:00~13:00
11月26日(日)11:00~13:00
*開催時間がいつもと違うので気をつけてください。
11月のテーマは、天地与我同根 万物与我一体(てんちとわれとどうこん ばんぶつとわれといったい)
「天地と自分とは根は一緒である。万物と自分とは一体である。」という意味の禅語で、僧肇(西暦384~414)という中国の仏教僧の言葉です。
さらに遡ると、この言葉は荘子(紀元前369~286頃)という道教の始祖の一人とされる人物の、「天地と我と並び生ず。而して万物と我とを一と為す。」という言葉が元となり、仏教の文脈で使われるようになったと言われています。「天地と自分とはともに生じた。だから全てのものは自分一つである。」という意味で訳されています。
さて、禅が中国に伝えられたのは西暦520年頃。「だるまさんが転んだ」でお馴染みの達磨大師によって伝えられたと言われていますので、禅が伝わるより古くから中国にあった「天地と我と一体」という道教の思想を仏教が取り込み、それを禅が援用しているということでしょう。また日本には古来から「人間は自然の一部である」といった精神性が存在します。この精神性と禅の哲学とが合致して、中国から日本に伝わった禅は、日本において現在まで続いているのだと、私は考えています。
禅の世界ではよく「無」という言葉が使われます。「無我」という考え方を「天地と我と一体」という言葉で表現したのだと考えられます。「天地と一体なので、個として、独立して存在する我というものは無い」ということでしょう。
ところで、禅の世界には「無我」と似た言葉で「無心」という言葉があります。似たような言葉なので混同しがちですが、無心とは「無我を理解するために体験すべき心の状態」と考えると理解しやすいでしょう。
無心を言葉で表現するのは難しいですが、「個人的な思考や感情が一時的に消え、過去や未来への執着を離れ、現実の瞬間を受け入れる空っぽで静かな状態」と言えるでしょう。
この無心という状態を自ら体感することによって、無我の概念を身をもって理解することができる。無心と無我は、そういう関係にあると理解しています。
坐禅とは、この無心状態を体験するための身体的な技術です。
試しに静かに坐ってみると、自分の意識や感覚があらゆる方向に好き勝手に暴れ回り、集中を阻害されるという現実を体感することになります。その一つ一つの阻害要因を、納得がいくまで徹底的に観察し尽くし理解すると、対処できるようになってきます。そして徐々に、より静かな状態を自ら作ることができるようになるのです。
坐禅のお供に「天地と我と同根、万物と我と一体」という言葉を携えて、心ゆくまで練ってみてはいかがでしょう。
令和五年 霜月
両足院徒弟
品部東晟