10月の禅語御朱印直書き会
10月の禅語御朱印直書き会のご案内です。参加は予約不要です。
10月の開催は、
10月1日(火)10:00~12:00
10月15日(火)9:30~11:30
※日程が合わず来院できない月があった方は、もしご希望であれば月を遡って抜けた月の分の禅語も書かせていただきます。いらした際にお声がけください。
10月のテーマは、一葉落知天下秋(いちようおちて てんかのあきをしる)
この言葉は、紀元前の中国の思想書「淮南子(えなんじ)」にある一節で、一枚の葉が落ちるのを見て、秋の訪れを察する様子をあらわしています。
ここで言う「葉」は、青桐(あおぎり)の葉だと言われています。線路脇や空き地などでもよく見かける、大きな手のひらのような形の葉の、成長の早い植物です。青桐は、夏の終わりになると他の植物に先駆けて落葉します。
一般的な解釈としては、まだ秋の気配が感じられない時期に青桐の葉が散るのを見て、秋の到来を察知する様子から、かすかな前触れによって未来を察知すること、また、わずかな前兆によって将来の衰退を見抜くことを示す言葉として捉えられているようです。
また、秋は草木がしぼみ散る季節であることから、権勢の衰退を予知するたとえにも用いられているようです。
さらにこの言葉を禅的に考えてみましょう。
季節に先駆けて落ちる一枚の葉を、単に秋の気配を告げる一つの兆しと捉えるのみでなく、一枚の葉は、そのまま世界全体を表す象徴として捉えてみるのです。
この世界は、人類が観測可能な遠い昔よりさらに前から、普くすべてのものが関係しあい、今現在のこの瞬間の形に帰結しているはずです。なので、今現在のこの世界のどの一部を切り取っても、そこにはこれまでの世界のすべての関係が凝縮されているはずです。
ですから、たった一枚の葉が落ちたという事実の中にも、宇宙の理の全てが内包されていると考えられるのです。そこから世界を読み取れるかどうかは、受け取る側、人間の、解像度の問題でしょう。
道端の名も知らぬ雑草にも、蚊の一匹にも、世界が全て反映されていると考えるのです。
一枚の葉は、季節の変化を象徴する兆しとも言えますが、世界の普くすべてのものの関係を象徴するものとも捉えられるわけです。
世界は関係しあい、止まることなく変化し続けている。季節の変わり目に一枚の葉が落ちるという出来事から、この事実を象徴的に思い出さてくれるのです。
そして結局、私というホモサピエンス一匹も、この世界の一部であり、同時に世界の関係の全てを象徴しているのだと、あらためて気づくことになる。私はこの禅語をこのように解釈しています。
令和六年 神無月
両足院徒弟
品部東晟