歴代住持系譜

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歴代住持系譜

開山
龍山徳見
りゅうざんとっけん
2世
無等以倫
むとういりん
永徳2年(1382) 龍山徳見の法嗣知足院を守塔する
黄龍派の派祖・黄龍慧南から栄西を経て龍山徳見に至る
十師お語録の集成である「黄龍十世録」二巻を版行する
示寂81歳
足利義政 御判御教書
寛正5年6月5日
3世
文林寿郁
ぶんりんじゅいく
正長元年(1428) 林浄因三世の孫
知足院の徒弟院として両足院を創建
建仁寺137世に就任
示寂年齢不明 忌日5月26日
足利義政 御判御教書
文明10年5月8日
4世
西庵敬亮
せいあんけいりょう
汝南敬周の後任に推され当院に住す
5世
悦巌東悆
えつがんとうよ

永正18年(1521)
父・林祥増で、林浄因の末裔
建仁寺266世に就任
塩瀬家計図(部分)
6世
和仲東靖
わちゅうとうせい
林浄因の後裔
吉田兼倶⇒月舟寿桂と引継がれた
神道研究を継承する
示寂年齢不明 忌日12月29日
頂相:一華院の月舟寿桂
7世
梅仙東逋
ばいせんとうほ

永禄9年(1566)
天正17年(1589)
慶長13年(1608)
父・林宗二 林浄因の後裔
「抄物」の筆録者として有名
建仁寺291世に就任
一華院を両足院に併合
示寂81歳 7月27日
8世
利峰東鋭
りほうとうえい
永禄4年(1561)
慶長15年(1610)
慶長18年(1613)
元和元年(1615)
寛永20年(1643)
林浄因の後裔 奈良出身
建仁寺297世に就任
南禅寺住持となる
「碩学」の栄誉を受ける
示寂83歳 7月24日
9世
以成東規
いせいとうき

寛文13年(1643)
貞享2年(1685)
末次平蔵・籔内竹 心居士の父、南条紹三・三輪執斎と関係する
建仁寺309世に就任
示寂77歳4月24日
10世
雲外東竺
うんがいとうちく
延宝元年(1673)
延宝5年~7年
(1677~1679)
貞享2年(1685)
元禄3年(1690)
享保15年(1730)
碩学禄を受ける
以酊庵22世に就任
二ヵ年輪住する
建仁寺310世に就任
南禅寺による号を賜る
示寂101歳4月11日
11世
拙庵東養
せつあんとうよう
享保11年(1726)
元文元年(1736)
建仁寺320世に就任
示寂62歳
12世
東陵雲延
とうりょうどんえん
宝暦2年(1752) 示寂54歳
13世
高峰東晙
こうほうとうしゅん
安永6年(1777)
 
安永8年(1779)
享和元年(1801)
建仁寺開山栄西禅師・塔頭各派の史伝等の研究を始め、建仁寺の
清規法式を制定する等、膨大な量の書物を刊行する。
建仁寺335世に就任する
示寂66歳 12月28日
14世
嗣堂東緝
しどうとうい
享和元年(1801)
文化4年(1807)
文化12年(1815)
天保7年(1836)
陶工仁阿弥道八と親交を持つ
碩学となる
以酊庵に再住する
示寂71歳 12月26日
15世
荊叟東玟
けいそうとうぶん
天保14年(1843)
嘉永7年(1854)
文久4年(1864)
嘉永年間
(1848~54)
慶応4年(1868)
明治5年(1872)
明治19年(1886)
以酊庵82世となり、三度輪住している
 
 
両足院の再建
 
建仁寺住持職就任
建仁寺派初代管長就任
示寂93歳 1月22日
16世
峻厓東佺
しゅんがいとうせん
明治8年(1875) 示寂46歳 10月10日
17世
朴宗東循
ぼくじゅうとうじゅん
明治21年(1888)
大正2年(1913)
建仁寺住職・独住3世に就任
示寂79歳 3月18日
18世
黙雷宗淵
もくらいそうえん

  昭和5年(1930)
明治・大正・昭和三代にかけて建仁寺管理長職を殆ど40年務めた
近代の傑僧
示寂77歳 11月15日
19世
閩洲東周
みんじゅうとうしゅう
大正10年(1921) 示寂40歳 6月9日
20世
龍宗東よう
りゅうじゅうとうよう
昭和11年(1936)
昭和17年(1942)
受戒会厳修
示寂66歳 3月28日
21世
玄照東瀏
げんしょうとうりゅう
昭和32年(1957) 妙心寺派歴住職を受ける
示寂76歳 8月18日
22世
泰宗東慎
たいじゅうとうしん
昭和32年(1957)
 
平成11年(1999)
当院開山龍山徳見禅師600年遠忌厳修
記念誌「黄龍遺韻」刊行
示寂89歳 10月28日
23世
郁翁東文
いくおうとうぶん
平成19年(2007) 当院開山龍山徳見禅師600年遠忌厳修