略年表
西暦 | 年号 | 出来事 |
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1358年 | 正平元年 | 龍山徳見没 75歳 知足院に葬られる |
1377年 | 天寿3 | 薩摩の大願寺甲刹に列し、一庵一麟開祖となる |
1379年 | 同4 | 一庵一麟、筑豊聖福寺に住す |
1380年 | 同6 | 無等以倫、黄龍十世録に序文し、2年後刊行 |
1389年 | 康応元年 | 一庵一麟、京都万寿寺に住する |
1394年 | 応永元年 | 一庵一麟、建仁寺に入寺する |
1398年 | 同5 | 一庵一麟、天龍寺に住し、4⁄5入寺する |
1400年 | 同7 | 瑞巌龍煋、一庵一麟について得度する |
1401年 | 同8 | 一庵一麟、南禅寺に住し、8/7入寺する |
1407年 | 應永14 | 瑞巌龍煋、一庵一麟から印可を受ける。一庵一麟寂 79歳 |
1420年 | 同27 | 江西龍派、洛西大聖歓喜寺に住し河内の寺領を賜う |
1421年 | 同28 | 冬至の前日、江州に偶居中の江西龍派、村庵霊彦の「雪巣集」に序する |
1428年 | 正長元年 | 秋、文林寿郁 建仁寺に住する |
1433年 | 永享5 | 瑞巌龍煋、分座説法し護国の祖塔を守る |
1437年 | 同9 | 江西龍派、建仁寺に住する |
1441年 | 嘉吉元年 | 江西龍派、南禅寺に住する |
1446年 | 文安3 | 瑞巌龍煋、建仁寺再造の都幹縁である聖業西堂を本寺に入寺する様、岐陽方秀を往訪して推挙を乞う。 2/21瑞厳龍煋、建仁寺に住する。江西龍派寂 72歳 |
1453年 | 享徳2 | 瑞巌龍煋、南禅寺に住むし在年半年、建仁寺霊源院に退休する |
1454年 | 同3 | 名僧質庵、正宗龍統の文集「禿尾長柄箒」に序する |
1455年 | 康正元年 | 一庵一麟の塔院に、明人鄭惟広の書いた「霊泉」の額を掲げ、瑞巌龍煋、慶賛の語を唱う |
1458年 | 永禄2 | 瑞巌龍煋、千光国師百年遠忌を厳修し、その資金の全てを祖塔修理の資に供する |
1460年 | 寛正元年 | 瑞巌龍煋 77歳。正宗龍統「前南禅瑞巌禅師行道記」を撰す。悦厳東悆京都に生れる。 月舟寿桂京都に生れる。 |
1465年 | 寛正5 | 両足院の汝南敬周退き、西庵敬亮、その後任に推さる。後土御門天皇から祖塔に「華蔵世界」の額を賜る |
1480年 | 文明12 | 正宗龍派、建仁寺に住する |
1481年 | 同13 | 正宗龍統建仁寺の経蔵を修理す。なお、10数年間壮絶していた梵語心経の復旧を謀る。 |
1488年 | 長享2 | 正宗龍統、建仁寺に住す南禅寺に住する |
1494年 | 明応3 | 正宗龍統「大鑑禅師小清規」に序する |
1498年 | 明応7 | 正宗龍統 71歳 |
1508年 | 永正5 | 悦巌東悆、薩摩の大願寺に住する |
1512年 | 同9 | 常庵龍崇、薩摩の大願寺に住する |
1536年 | 天文5 | 常庵龍崇没 67歳 |
1546年 | 同15 | 和仲東靖、常庵龍崇自筆の「入寺清規」を写す |
1548年 | 同17 | 和仲東靖に、薩摩大願寺、筑前聖福寺賜帖 |
1557年 | 弘治3 | 龍山和尚200年遠忌につき春沢永恩香語する |
1561年 | 永禄4 | 利峯東鋭、奈良に生れる |
1563年 | 同6 | 和仲東靖寂 寿不詳 |
1566年 | 同9 | 梅仙逋、聖福寺賜帖 |
1577年 | 天正5 | 梅仙東逋の母、元室妙祐大姉卒 77歳。11/11梅仙東逋、建仁寺に住する |
1581年 | 同9 | 梅仙東逋の父、林宗二卒 84年 |
1589年 | 天正17 | 一華院 両足院下となる |
1594年 | 文禄3 | 梅仙東逋、南禅寺賜帖 |
1596年 | 慶長元年 | 利峯東鋭11月薩摩大願寺、11/8聖福寺賜帖 |
1608年 | 同13 | 梅仙東逋寂 80年 |
1610年 | 同15 | 利峯東鋭、建仁寺に住する |
1613年 | 同17 | 利峯東鋭、南禅寺賜帖 |
1615年 | 元和元年 | 利峯東鋭、碩学となる。護国院の輪番は両足・霊源二院で実施していたが慶長末から山内諸院の輪番となる |
1616年 | 元和2 | 両足院の隣にあった霊源院を大中院の北辺に移転 |
1630年 | 寛永7 | 雲外東竺、長門の萩に生れる。 |
1643年 | 同20 | 利峯東鋭寂 83歳 |
1653年 | 承応2 | 9/22以成東規大願寺賜帖、11/15聖福寺賜帖 |
1657年 | 明暦3 | 両足院・霊源院から斎料5石を本山へ上納して仏殿で龍山徳見和尚三百年遠忌を営む。 |
1660年 | 万治3 | 二代末次平蔵により、隠元・木庵和尚の墨跡等が両足院へ寄進される。 |
1661年 | 寛文元年 | 雲外東竺、両足院に入り、以成東規に師事する。両足院の客殿庫裡修理 |
1662年 | 寛文2 | 大地震あり 両足院土蔵倒壊 |
1664年 | 同4 | 両足院の土蔵修補 |
1668年 | 同8 | 霊源院の梅南龍信、仙台の東昌寺に赴く |
1670年 | 同10 | 雲外東竺、洞春寺殿100年忌のため長門に赴く |
1673年 | 延宝元年 | 以成東規、建仁寺に住す。雲外東竺、以酊庵修簡職に加えられ、碩学禄を賜う。 |
1674年 | 同2 | 雲外東竺、碩学禄拝領の礼のため江戸に赴く |
1675年 | 同3 | 拙庵東養、萩に生れる。 |
1677年 | 同5 | 雲外東竺、以酊庵に住し、同7年5月迄赴任 |
1681年 | 天和元年 | 雲外東竺、西来院から正伝院へ遷る。11/17建仁寺賜帖 |
1682年 | 同2 | 両足院玄関を葺く |
1684年 | 貞享元年 | 高台寺の詩歌の会で、北村秀吟らと遊ぶ |
1685年 | 同2 | 建仁寺310世・雲外東竺、正伝院から両足院へ。白木屋 大村家(道慈居士)、雲外の承諾を得、 檀家となる。書院・客殿の東のひさしを新たに葺く |
1686年 | 同3 | 雲外東竺、土屋相模守邸で、建仁寺へ御朱印拝領 |
1687年 | 同4 | 9/9京都地方大風あり、両足院客殿損害あり |
1691年 | 同4 | 両足院南門屋根新たに葺く。両足院西側も竹垣を築く |
1695年 | 同8 | 拙庵東養、両足院の徒弟となった挨拶に山内を巡礼。 両足院客殿南方に塀を新造する。西来院の門及び庫裏南方補修 |
1696年 | 同9 | 9月両足院土蔵の葺き替え |
1698年 | 同10 | 4月両足院の庫裡普請落成。9月両足院の土蔵薪小屋新築。秋、建仁寺の仏殿屋上を葺く |
1700年 | 同13 | 2月両足院の庫裡前の塀新造。祖塔葺屋成る |
1702年 | 同15 | 片山尚景、雲外東竺の依頼により客殿襖に絵を描く |
1703年 | 同16 | 雲外東竺、源頼家公500年遠忌を営む |
1705年 | 宝永2 | 行者、慈伝、天童像を新彫し祖塔に寄進、雲外東竺点眼 |
1706年 | 同3 | 雲外東竺、龍山徳見和尚350年遠忌を1年繰り上げて行う |
1713年 | 正徳3 | 雲外東竺、千光祖師像を新彫、祖師堂で安座点眼する |
1714年 | 同4 | 雲外東竺、千光祖師500年遠忌を営む |
1726年 | 享保11 | 拙庵東養 建仁寺320世賜帖。11月雲外東竺、一華院に退隠する |
1730年 | 同15 | 雲外東竺 示寂101歳 |
1736年 | 元文元年 | 拙庵、一華院を両足院の北辺に再造する。拙庵東養 示寂 62歳 高峰東晙生れる |
1739年 | 同4 | 東陵曇延、両足院に住する |
1744年 | 延享元年 | 法堂、延享年間改造 |
1746年 | 同2 | 高峰東晙、得度する |
1747年 | 同3 | 東陵曇延、両足院に住す大願寺並真如寺賜帖 |
1752年 | 宝暦2 | 東陵曇延寂 54歳 |
1757年 | 同7 | 高峰東晙、龍山徳見400年遠忌を営む。 |
1766年 | 明和3 | 嗣堂東緝生れる |
1772年 | 安永元年 | 高峰東晙、筑後柳坂千光寺蔵の千光祖師所持の印を押印して帰る |
1775年 | 同4 | 高峰東晙、「霊松一枝」二巻撰 |
1777年 | 同6 | 高峰東晙、建仁寺賜帖 |
1779年 | 同8 | 高峰東晙、以酊庵輪住 |
1793年 | 寛政5 | 両足院台所西の塗屋上棟 |
1794年 | 同6 | 荊叟東玟京都に生れる。 |
1796年 | 同8 | 高峰東晙、一華院を嗣堂東緝に譲る |
1798年 | 同10 | 高峰東晙「東山建仁禅寺並諸塔略記」一巻を撰する |
1801年 | 享和元年 | 高峰東晙寂 66歳 |
1802年 | 同2 | 荊叟東玟、得度 |
1806年 | 同3 | 嗣堂東緝、建仁寺賜帖。嗣堂東緝、龍山徳見和尚400年遠忌1年繰り上げて実施。 嗣堂東緝、対州渡海費用100両、檀那大村彦太郎邦全から借用 |
1807年 | 同4 | 嗣堂東緝、以酊庵輪住 |
1814年 | 同11 | 嗣法堂の修造なる |
1815年 | 同12 | 4月嗣堂東緝、以酊庵再住 |
1830年 | 天保元年 | 7/2大地震のため塔頭諸処の土塀倒れる。峻厓東佺生れる。 |
1832年 | 同3 | 荊叟東玟 両足院住持となる |
1835年 | 同6 | 朴宗東循、京都に生れる |
1836年 | 同7 | 嗣堂東緝 71歳 |
1842年 | 同13 | 大村経全、観音像一体を両足院へ寄進する |
1843年 | 同14 | 4月荊叟東玟、以酊庵輪住 |
1848年 | 嘉永元年 | 朴宗東循、荊叟東玟につき得度 |
1852年 | 同5 | 両足院表両門、石垣、土塀、台所新造 |
1854年 | 安政元年 | 黙雷宗淵、壱岐に生れる。4月荊叟東玟、以酊庵再住 |
1860年 | 万延元年 | 荊叟東玟、嗣堂東緝の25回忌を厳修し、院宇改造上棟入仏法要を営む |
1864年 | 元治元年 | 荊叟東玟、以酊庵に三住する |
1867年 | 慶応3 | 荊叟東玟、峻厓東佺を両足院へ、朴宗東循を霊源院へとそれぞれ継席させる |
1868年 | 明治元年 | 荊叟東玟、龍山徳見和尚500年遠忌11年延在して営む |
1872年 | 同5 | 荊叟東玟、建仁寺派初代管長となる。養浩庵を両足院に併合 |
1875年 | 同8 | 峻厓東佺寂 46歳 11/2朴宗東循、両足院住職となる |
1877年 | 同10 | 龍宗東よう、岐阜県に生れる。朴宗東循、等持院の二階堂北冥を通じ、比喜多琴五郎から鞍馬本尊の胎内仏並びに仏具などの寄付を受ける |
1878年 | 同11 | 住山荊叟東玟、開山堂の旧観を撤去して新築せんとする |
1882年 | 同15 | 閩洲東周、大分県に生れる |
1886年 | 同19 | 初代管長荊叟東玟寂 93歳 |
1887年 | 同20 | 2月龍宗東よう、朴宗東循につき得度。5月管長石窓紹球、一山会議をなし、梅林寺三生軒門下の黙雷宗淵を招き、禅堂再建をはかる |
1888年 | 同21 | 朴宗東循、管長事務取扱となる。9月両足院毘沙門堂を庫裡南方に新築 |
1890年 | 同23 | 毘沙門天護持のため「大般若会」を組織し3カ年を1期とする |
1892年 | 同25 | 月黙雷宗淵4代管長となる |
1901年 | 同34 | 龍宗東よう、霊源院住職となる |
1903年 | 同36 | 玄照東瀏、福岡県に生れる |
1904年 | 同37 | 7月毘沙門堂並びに井戸屋根改修 |
1907年 | 同40 | 朴宗東偱、龍山徳見和尚550年遠忌を延修。上村観光著「開山真源大照禅師略伝」を記念出版 |
1909年 | 同42 | 両足院境内東北隅に、大村彦太郎寄附「水月亭」の建築をはじめる。薮内家11代透月斎、庭園修理指導。閩洲東周、両足院の住職となる。 |
1911年 | 同44 | 泰宗東慎、愛知県中島郡に生れる |
1913年 | 大正2 | 朴宗東偱寂 79歳 |
1920年 | 同9 | 玄照東瀏、閩洲東周につき得度 |
1921年 | 同10 | 閩洲東周寂 40歳。両足院後任兼務住職は黙雷宗淵 |
1922年 | 同11 | 泰宗東慎、両足院に入り龍宗東ようにつき得度。毘沙門堂を庫裡南方から境内西北方に移転 |
1923年 | 同12 | 6月毘沙門堂遷座法要を営む |
1926年 | 昭和元年 | 大村家から両足院へ、高台寺にあった同家の茶席「臨池亭」を寄進する |
1929年 | 同4 | 玄照東瀏、霊源院住職となる。4代管長黙雷宗淵寂 77歳 |
1936年 | 同11 | 龍宗東よう、受戒会を営む |
1940年 | 同15 | 玄照東瀏、妙心寺派満州国布教総監を嘱託され赴任する |
1941年 | 同16 | 玄照東瀏、両足院住職となる |
1942年 | 同17 | 龍宗東よう寂 66歳 |
1943年 | 同18 | 玄照東瀏、妙心寺派梅林寺転住につき、泰宗東慎がそのあとを継ぐ |
1947年 | 同22 | 郁翁東文、京都に生れる |
1948年 | 同23 | 太平洋戦争の際の防火予防の天井張り替え、修理 |
1950年 | 同25 | 9月茶席「水月亭」その他風害を被る。12月修復する |
1951年 | 同26 | 毘沙門講を組織 |
1953年 | 同28 | 台風により、両足院毘沙門堂西北隅の土塀、石崖共に崩壊する |
1954年 | 同29 | 崩壊した土塀、石垣の修復 |
1957年 | 同32 | 泰宗東慎、龍山徳見和尚600年遠忌を営む。600年誌を「黄龍遺韻」と命名し記念出版する。 |
1999年 | 平成11 | 5月郁翁東文、両足院住持となる。10月泰宗東慎寂 89歳 |
2007年 | 同19 | 玄関庇、唐破風門屋根、くぐり門屋根、庭小門屋根茶室屋根修復、方丈壁塗り、方丈内戸帳並びに打敷新調。龍山徳見和尚650年遠忌を営む |